【クロアチア便り】ザグレブ地震から1カ月が経ちました

 

こんにちは。今日でザグレブ地震からちょうど1カ月が経ちました。

 

ザグレブで地震があったのは先月3月22日。

 

M5.4と日本だとそれほど大きな地震とは言えない揺れでしたが、地震対策が施されていない古い建物が多いザグレブ中心地は大きなダメージを受けました。

 

【ザグレブ地震直後の様子は以下の過去記事をご覧ください】

 

⇒ 3月22日公開 : 【現地レポート】ザグレブでM5.5の地震が発生。大聖堂の尖塔も崩れ、市内で被害が出ています

 

⇒ 3月22日公開 : 【現地レポート】地震と新型コロナに震撼するザグレブ┃半日経った街、人々の様子

 

2020年3月22日 ザグレブ市内中心部 イェラチッチ広場周辺の様子 (©Marina Kuten Ouchi)

 

新型コロナに地震・・・ザグレブ、クロアチアにとって本当に大変な1カ月でした。

 

今日は地震から1カ月経ったザグレブの今の様子、そして自分の忘備録も兼ねて、この1カ月私が見聞きしてきたこと、感じたことをお伝えしたいと思います。

 

余震の恐怖にさらされた数日間

2020年3月22日 ザグレブ市内中心部 イェラチッチ広場周辺の様子 (©Marina Kuten Ouchi)

 

クロアチア現地の報道によると、3月22日の早朝に本震が起きてから大小合わせて約1000回もの余震が計測されたのだとか。うちザグレブ市民が感じた揺れ(M1.3を超える揺れ)は145回。M1.3未満の小さな地震は約850回を記録したそうです。

 

3月22日以降数日間、揺れを感じるごとに「まただ・・・!」とみんなビクビク。多くのクロアチア人にとって今回の地震は「人生ではじめて体験する地震」だったのですが、そのショックは相当だったよう。

 

余震の影響もあり地震後は「数日間ぐっすりと眠れなかった」という人もたくさんいます。私の夫や家族もそうで、地震後はみんな精神的にも肉体的にもかなり疲れ切っていました。

 

日本で地震を何度か経験してきた私は彼らよりは(余震に対して)平常心を保つことができましたが、それでもやはり、まさかクロアチアで地震を経験するなんて夢にも思っていませんでしたし、自宅に被害がなかったとはいえ、耐震構造でない家に住んでいるため「今度もっと大きな揺れがきたら、どうしよう・・・」と、やはりとても怖かったです。

 

 

これまで「クロアチアで地震なんてあるわけない」と思い込んでいたため、防災バッグなどは全く用意していませんでしたが、震災後すぐにリュックサックに万が一の際に役立ちそうな防災グッズや貴重品をまとめて玄関先に置くようにしました(1カ月経った今もそのままにしています)。

 

なお、地震直後はそのショックから、なかなか自宅の建物内に戻ろうとしなかった人も多かったです。(私たちはさすがに家の中にいましたが)「余震が来てもすぐに逃げられるように」とスーツケースやリュックサックを側に置いて、夕方頃まで外でたむろしていたご近所さんをたくさん見かけたのが今でも印象に残っています。本当に、みんなよっぽど怖い思いをしたのだと思います。

 

そういう私も、たまたまなのか、まだ先月のザグレブ地震のショックが頭の片隅に残っているのか、つい最近、大きな地震に再び襲われる悪夢を見て飛び起きたりしました💦

 

うちのママ(義母)は地震直後はあまりにものショックに泣きだしてしまったほどでしたが、つい先日も「本当にあの地震は怖かった。この世の終わりだと思った」と話していました。

 

クロアチア人の友達も「あの日のことは一生忘れられない。地震の揺れはたった10秒だったらしいけれど、私にとってはとても長い時間だった」と話していました。

 

1カ月経ったザグレブ市内の様子

 

現時点の調査では、今回のザグレブ地震で被災した(ダメージを受けた)建物は約26200棟。うち1900棟が安心して人が中に入れない状態(立ち入り禁止)と報告されています。

 

新型コロナ対策でクロアチアでは今も引き続き外出自粛制限がなされているため、スーパーへの買い物とちょっとした気晴らしの散歩以外、外を気軽に出歩けない状態。

 

そのため1カ月が経った今も私自身は被災したザグレブ市内の様子を自分の目で確認できていません。(私が住んでいるのは建物への直接的な被害がほとんどなかったザグレブ新市街。自宅から市内まではわずか数キロしか離れていませんが、古い街並み・歴史的建造物が多いザグレブ市内と私が住む新市街では、まるで同じ街だとは到底思えない程、地震の被害状況が大きく異なります。)

 

日々ニュースで流れてくる画像や映像、そして被害が大きい市内中心部に住む友人たちから送られてくる写真などを見るだけですが、最近まで崩れたままの瓦礫がそのままにされている所も点在していたみたい(今も「立ち入り禁止」のテープだけ貼って、そのままにしている所もあるみたいです)。

 

なお、震災直後から市内で被災した建物のうち「放置しておくと強風や余震などにより崩れてくる可能性がある箇所」が優先して撤去作業がなされました。

 

 

 

上の映像は3月22日、震災当日の夕方のイェラチッチ総督広場の様子。広場に面した建物の一部、塔が壊れかけており、放置しておくと危険だということで撤去作業がなされました。

 

このような個所が市内中心部の至る所にあり、市民が安心して外を歩ける状態ではありませんでした。

 

市内中心部(被災した建物が多いエリア)に住む友達は「コロナのせいで、そもそも外には気軽に出られる状態でないけれど、数日に一度食料の買い出しのためにスーパーに行かなきゃならない。でも、外を歩くのが怖いよ。目に見えないウイルスも恐ろしいけれど、まだ余震があるし、道を歩いていると上から瓦礫でも落ちてくるんじゃないか・・・とビクビクする」と話してくれました。

 

2020年3月22日 ザグレブ市内中心部の様子。屋根の瓦が落ちています。 (©Marina Kuten Ouchi)

 

ザグレブ中央鉄道駅近くの古い建物に住む知人は「建物の煙突部分のレンガが崩壊して、そのせいで建物の中がぐちゃぐちゃさ。でも、点検してもらって一応OK(安全に住める)をもらったから住むには住んでいるけど・・・」と話してくれたのですが、彼が話すように、煙突が崩れ落ちてきたことが大きな損傷の原因となった建物も多いみたいです。

 

確かに、ザグレブの街並みを見ていると煙突がある建物、お家がたくさんあります。なかには「煙突が崩れ落ちてきたせいで、瓦礫で床が抜け落ちた」という建物もあったのだとか。

 

実は我が家にも煙突が2つあるのですが、地震直後ママに「次揺れたら煙突に近いエリアから逃げるのよ」と忠告されました。うちの家では暖炉はもう使っていないので煙突は完全に封鎖している状態なのですが、地震の際、煙突に気をつけなければならないなんて、ヨーロッパならではだなあ・・・と思いました。

 

まだ震災当日のままの状態の建物、屋根瓦がずれたままのお家などがたくさんあり、これから少しずつ修復作業が勧められますが、復興までに約2年から長いところでは7年を要すると言われています。

 

2本の尖塔を失ったザグレブ大聖堂

先日、3月22日の地震で南側の尖塔の一部が壊れたザグレブ大聖堂 (©Marina Kuten Ouchi)

 

ザグレブで記録的な地震があったのは140年前の1880年。

 

今のザグレブの街並みの大部分は1880年の地震の後に作られました。

 

街のシンボルのひとつでもあるザグレブ大聖堂(聖母被昇天大聖堂)も今の姿は1880年の地震の後に設計・建てられたもの(それまで全く異なる風貌をしていました)。

 

そんな大聖堂も先月の地震で被災してしまいました。近くの他の教会は残念なことに天井の大部分が崩壊する大きなダメージを被りましたが、幸い大聖堂は天井の崩壊などは免れたみたい。

 

ですが、象徴的存在である尖塔の一部が地震で崩れ去ってしまったということが、地震当日もニュースで大きく報じられていました。

 

街のシンボルである大聖堂の塔が欠けてしまった痛々しい様子。多くのザグレブ市民がこの様子、映像を見てショックを受けました。私もなんとも言えない悲しい気持ちで胸が詰まる思いがしました。

 

 

震災当日に崩れたのは大聖堂の南(正面向かって右)の尖塔のみ。

 

ですが、その後ドローンでの調査により、残っていた北(正面向かって左)の尖塔も地震の衝撃で約15㎝程ずれてしまっていることが判明。

 

「このまま放置すると自然に落下する可能性もあり危険」と判断され、先日4月17日撤去作業が行われました。

 

撤去作業当日、安全のために周囲の住民に作業中は一時的避難が勧められ、また大聖堂周辺に近づけないように警察が警備にあたりました。

 


私たちも自宅から生中継をネットで見て見守ることに。

 

17時58分:尖塔に巻きつけられた火薬での爆破に成功。塔から黒い煙が立ち上がりました。

 

18時07分:目標箇所が正常に爆破されたことがドローンで確認され、その後クレーンによる塔の撤去作業が行われました。

 

仕方ないことですが、両方の尖塔を失ってしまった大聖堂を見て本当に悲しい気持ちになりました。

 

しかも、数十年もの歳月をかけてコツコツと修復作業を続けてきたザグレブ大聖堂。地震が起きるまでは「やっと正面部分の修復作業があともう少しで終わる」という所まできていたのに、今回の地震のせいで両方の尖塔を失ってしまい「いったい、いつになったら大聖堂は完成するんだ」と市民は嘆いています。

 

写真中央奥、小さく見えるのがザグレブ大聖堂です

 

ちなみに、撤去作業が行われた2日後の4月19日。中心部までは行かなかったのですが、用事で外出した際、新市街の方から大聖堂が遠目に見える場所を通りかかりました。

 

大聖堂の前にはまだクレーンが建っていて、(↑ 上の写真では少しわかりにくいかもしれませんが)、遠目でも両方の尖塔がないことが確認でき、何とも言えない切ない気持ちになりました。

 

被災した人々の状況

 

被災してしまった家やアパートの住人のなかで、点検後に「安全。住んで良し」とされた方々は自宅に戻って生活を続けていますが、「危険」と判断され、修復作業が終わるまでしばらく家に帰ることができない人もいます。

 

4月18日よりザグレブ市からタイルや木材、釘、レンガなど建材が支給されたと報じられており、これから本格的な復興作業が徐々に進んでいきそうです。

 

一方、なかには被害が大きすぎて二度と自宅に戻ることができない・・・という方も。本当に気の毒で仕方ありません。

 

ザグレブ市内中心部で被災した建物

 

こちらのクロアチアのネットニュース記事で読んだある男性のインタビューがとても印象的でした。

 

同記事内でインタビューに答えていらっしゃるのは、ザグレブ近郊の街で被災した方。

 

その男性は、ザグレブ近郊のキャンプ場に設置された(政府の支援により提供された)トレーラーハウスを仮の住処として避難生活を続けているそうです。なお、トレーラーハウスには電気や水道が通っており、子供たちが遠隔学習ができるようにインターネットも完備されているとのこと。

 

「新型コロナウイルスより地震の方が最悪だ。地震のせいで住む場所を失くしてしまいました。でも、ここは狭いけど安心して住めるので良かった。おかげで夜もぐっすりと眠ることができます」と男性。

 

多くの建物の修復、再建まで少なくとも1年はかかると予想されています。

 

地震と新型コロナ

2020年3月22日 ザグレブ市内中心部 イリツァ通り(©Marina Kuten Ouchi)

 

今回、新型コロナ渦中の中、大きな地震に見舞われたザグレブ。

 

地震の直後、日本のみなさんから温かいメッセージをたくさんいただきましたが、なかには「地震が多い日本も他人事ではないと思っています。コロナだけでも大変なのに、今日本で大きな地震があったら・・・と想像して怖くなりました」というようなお言葉も。

 

(関連記事:【ザグレブ地震】日本から届く温かいメッセージに感謝 )

 

地震直後は混乱と恐怖から自宅に戻らず、自宅前や公園など外で過ごす人も多く、「地震は危険ですが、コロナウイルスはさらに危険です。(ウイルス感染予防のため)社会的距離を保って避難してください」と呼びかけられていました。

 

でも、生まれてはじめて経験した地震に多くの市民は戦々恐々。

 

余震が残る中、「目に見えないウイルスも怖いけれど、僕たちにとっては地震がもっと怖い。周りに人がいっぱいいるし、感染してもおかしくない。でも地震であたまがいっぱいだよ。どうしたらいいかわからない。もう、うつったらうつった時だ!」とやけっぱちになっている人もいたほどです。

 

地震直後「私たちは今、お互いに矛盾するふたつの危機を同時に抱えています」とプレンコヴィッチ首相も市民にメッセージを送っていまていましたが、社会的距離を保ちながら地震から身を守る、避難するということは容易ではありません。

 

でも、幸い地震発生の影響でその後ザグレブで新型コロナ感染者が爆発的に増えた・・・というような報道はなされませんでした。

 

感染者が増えなかったのは(真意は定かではありませんが)「地震発生時までのクロアチア政府の対応がよかったからだ。それまで感染者を適切にコントロールできていたから、地震発生時の混乱の中でたくさんの市民が屋外に出てきたのにも関わらず、感染が拡大しなかった」などと言われています。

 

また結構真面目な面もあるクロアチアの人々。「外出自粛」「社会的距離を保ってください」と言われれば、各々が自らそのような行動をきちんととっています。このようなクロアチアの人々の真面目さが地震の混乱にも関わらず感染が拡大しなかった大きな一因なのかもしれません。

 

 

今回、新型コロナ渦中に地震に見舞われたザグレブと街の人々の様子を見ていて「目に見えないウイルスを警戒しながら、地震から身を守る難しさ。またふたつの“非常事態”を冷静に受け止め、前向きに生きる強い精神力を持つことの難しさ」を実感しました。

 

実際、豆腐のようなメンタルの私自身は、地震から一週間くらいは余震の緊張もあったためか「前向きに頑張ろう」と気が張った状態でいられましたが、その後「地震にコロナ・・・先が見えずに不安ばっかり」としばらく鬱状態のようになってしまいました。

 

(関連ブログ:先が見えない不安「コロナうつ」にならないために

 

日本でも先日4月19日に岩手県や宮城県のあたりで強い地震(M6.3)があったそうですね。私は日本のネットニュースで知ったのですが、記事の見出しを見た瞬間「まさか・・・」とヒヤッとしました。

 

大きな被害はなかったとのことで、ほっとしていますが、今後も大きな地震が起きないことを心から願うばかりです。

 

ザグレブ地震義援金に関して

 

ところで、震災直後から「ザグレブ地震の義援金を送りたいのですが、どこか寄付先はありますか?」という温かいご質問をいくつか頂戴しました。

 

クロアチア国内では、いくつかの団体により義援金受付の銀行口座が開設されているのですが、日本からの寄付だと海外送金となるため手数料や手間がかさみ、ちょっと大変・・・。

 

「日本で義援金を受け付けているところはないかな?駐日クロアチア大使館が受付をされていると一番安心してお知らせできるのだけれど・・・」と思い確認してみましたが、現状私が把握している限り、現在日本国内では寄付先は見つかりませんでした。

 

ひょっとしたら将来的に駐日クロアチア大使館が寄付の受付をされるかもしれないとのことですが、現状は諸事情でまだ義援金受付ができないのだとか。もし将来的に「日本でザグレブ地震義援金受付を開始した」という情報を耳にしたら、また当サイトでお知らせさせていただきますね。

 

なお「海外送金になってもいい」という方は、在クロアチア日本大使館に寄付先の情報が詳しくまとめられていますので、そちらをぜひご覧ください(↓)

 

⇒ ザグレブ大地震に対する復興支援金/被災者義捐金について(在クロアチア日本大使館より)

 

 

家にこもっているだけだというのに、本当にいろいろなことがあり、精神的に辛かった一カ月。

 

でも、自分自身や大切な家族や友達が健康でいられること、何気ない日常がどれだけ幸せなのか・・・ということをしみじみと感じ考えさせられる一カ月でもありました。

 

これからも、みなさんにとっても平和な日常、時が続きますように。

 

(2020年4月22日 小坂井真美

クロアチア大地震被災地への募金、支援について

 

この度、駐日クロアチア共和国大使館による支援金受付のため口座が開設されました。

 

ご興味をお持ちくださる方はこちらの記事(【クロアチア大地震義援金】駐日クロアチア共和国大使館が寄付金の口座を開設)をご覧ください。

 

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