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木曜日, 12月 3rd, 2015
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ザグレブの歴史を見つめ続けてきた大聖堂

天にそびえる2つの塔は町のシンボル   ザグレブのシンボルのひとつでもある聖母被昇天大聖堂。空に向かってそびえ立つ2つの尖塔は遠くからも眺めることができ、建物が少ないザグレブではいっそう引き立って見えます。   ザグレブに初めて教区が設立されたのは1094年のこと。そのあとすぐに大聖堂の建設が始まりました。ザグレブについての初の歴史的記録がされたのもちょうどこの頃で、ザグレブの歴史はこの大聖堂と共にあったとも言えます。   常に異民族の脅威に立ち向かってきた歴史を持つザグレブ。   ゴシック様式の大聖堂の建築が進められていた13世紀末、異民族(タタール)がザグレブ近郊に攻め入ってきました。   そのため街を守る城壁の建設に重きが置かれるようになり、滞ってしまった大聖堂の建築。その後15世紀中頃にようやく大聖堂の修復・建設が再開されましたが、17世紀に工事が終わった頃、ゴシック様式ではなくバロック様式を主とした大聖堂へと姿を変えていたのです。現在、特に大聖堂内にある数々の祭壇にバロック様式の特徴をよく見受けられます。   また16世紀初頭にはヨーロッパを恐怖に陥れたオスマン・トルコ帝国の侵攻から街を守るためにザグレブ大聖堂の周りにはルネッサンス様式の城壁が建設されました。現在、城壁は取り壊されそのほとんどが姿を消してしまいましたが、今でも大聖堂を正面に見て左側に城壁の一部が残されたままになっています。   大聖堂が現在の姿になったのは1880年に起きた大地震の後。この大地震で大聖堂を含めた街の大部分が大きな被害を受けましたが、少しずつ街は復興への道を歩みはじめます。その時、オーストリアから招いた建築家フリードリッヒ・フォン・シュミットのスケッチを元に、ヘルマン・ボレーというドイツ人建築家がネオ・ゴシック建築で再建され、現在のように2つの塔をもつ姿となりました。   ただ、せっかく美しい姿に再建されたというのに、当時建築資材や資金が不足していたことが原因で、尖塔に使われた資材は質の悪い砂岩だったのだそう。そのため、数十年のうちであっという間に尖塔は劣化してしまうことに・・・。そのため20世紀後半になり、丈夫な石で新たに修復されることとなり、現在も修復作業が続けられています。   このように幾度もの災難を乗り越え、ザグレブを見守り続けてきた大聖堂。現在もたくさんの人々に祈りと安らぎの場を与え続けています。 ザグレブ大聖堂の見所   美しい大聖堂の入り口も必見! ■大聖堂の入り口   大聖堂に入る前に、入り口上部に施された装飾をぜひゆっくりご覧ください。とても緻密で美しいその様子に、思わず見入ってしまいます。   ■グラゴール文字が刻まれた壁   大聖堂に入ってすぐ右側に進むと、高い壁一面に不思議な文字が刻まれていることに気が付きます。これは「グラゴール文字」と呼ばれる“スラブ語圏最古”とされる文字のこと。現在ロシア語などで使用されているキリル文字の原型になったとされる文字です。   ■ステピナツ大司教のお墓   この大聖堂が一般的な大聖堂と比べると明らかに異なる点。それは大聖堂の一番奥、正面の祭壇にあるのはキリストの像でも絵でもなく、人形が安置されたガラスケースだということ。この人形はザグレブの大司教であったアロイジエ・ステピナッツ(Alojzije... »記事