【動画付】ザグレブ地震から1カ月経った街を歩いてきました(前篇)

 

こんにちは!

 

今日は地震から約1カ月が経ったクロアチアの首都、ザグレブの様子をお届けします。

 

ザグレブ地震があったのは2020年3月22日。今からちょうど1カ月半程前です。

 

地震の規模はM5.5と然程大きくありませんでしたが、ザグレブにとってはここ140年で最も大きな地震で、古い建物が多い市内中心部は甚大な被害が出てしまいました。

 

本当はもう少し早くみなさんにお届けしたかったのですが、新型コロナによる外出自粛の影響もあり4月末頃まで市内に行くことができず、また撮影後も動画編集などに時間がかかってしまい、公開が今日となってしまいました。(※市内に行ったのは4月28日です)

 

今これをお読みくださっている方のなかには、ニュースなどで3月末にザグレブで地震があったことを既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、「知らなかったよ」という方は、よろしければ以下の過去記事をご覧ください:

 

 

なお、この記事でお伝えすることは下の動画にもまとめましたので、よろしければそちらもご覧くださるとうれしいです(※動画と当記事の内容はほとんど同じです。ですので「記事を読むのはしんどいな・・・」「動画で街の現状をしっかりと知りたい」という方は動画でご覧くださると幸いです)

 

【動画】↓

 


 

なお、今回の記事(および上の動画)では以下のエリアの様子をお届けします:

 

・ズリニェバッツ公園

・ジョルジチェヴァ通り

・イェラチッチ総督広場

・ドラツ市場

・大聖堂(聖母被昇天大聖堂)

 

長くなってしまうので、以下のエリアの様子は次回の記事(および動画)でお届けします:

 

・トカルチチェバ通り

・石の門

・聖マルコ教会

・チリロメトドゥ通り

・聖カタリーナ教会近辺

・ロトルシュチャック塔近辺

・ウスピニャチャ(ケーブルカー)

・イリツァ通り

 

ズリニェバッツ公園

 

自宅からザグレブ市内までは、いつものように自転車で移動したのですが、市内中心部に近づいて最初に大きな変化に気が付いたのがズリニェバッツ公園でした。

 

ズリニェバッツ公園はザグレブで一番美しい公園のひとつ。大きなプラタナスの木が立ち並ぶ、ザグレブ市民憩いの場所です。

 

でも、この日ズリニェバッツ公園には車がたくさん停まっていました。

 

 

これまでに見たことがない公園の光景に驚きました。

 

ザグレブ市内中心部には道路の一角が駐車スペースになっているところがたくさんあるのですが、道路に面する建物が被災してしまい、いつ上からものが落ちてくるかわからない危ない状態。「立ち入り禁止」のテープが張られていて、今も近づけない状態のところがたくさんあります。

 

「立ち入り禁止」テープが張られた道路の駐車スペース

 

そのため市内にあるオフィスに車で通勤している人や、市内の建物に住む人たちが、市の許可をもらって公園に駐車しているのです。

 

あいかわらず、のどかな時間が流れるズリニェバッツ公園

 

今まで見たことがないズリニェバッツ公園の様子に衝撃を受けましたが、公園の芝生の上では日向ぼっこをしてくつろぐ地元っ子もいて、いつも通りの「のどかな時間」が流れていることに少しほっとしました。

 

ジョルジチェヴァ通り

この写真は近くの「ペトリンスカ通り」から撮影しました

 

ズリニェバッツ公園に自転車を止めて次に向かったのは、公園のすぐ近くにあるジョルジチェヴァ通り

 

上の写真は、地震で屋根や壁の一部が崩壊してしまった建物です。

 

ニュースでも度々この建物の様子が報道されていたため、今回のザグレブ地震の象徴的な建物のひとつでもあります。

 

地震前は壁に貝殻の絵、ウォールアートが施されている建物として、ザグレブのちょっとしたランドマークのひとつでした。

 

ズリニェバッツ公園のすぐ近くにある通りで、近くに日本大使館や、日本のガイドブックにも載っている人気の「プルゲル」というレストランすぐがあるので、ザグレブにお越しになったことがある方の中には、「この建物に見覚えがある!」という方もいらっしゃると思います。

 

今回の地震の犠牲となった少女が住んでいたアパートの建物は、この写真の建物と同じ通りに位置しています。

 

 

中が見えてむき出しの状態。目の当たりにして、とても心が痛みました。

 

ザグレブ市内には、この建物のように「見るからに被災したことが外見からわかる」という建物も点在していますが、ほとんどが外からだと実際の建物内の被害状況がわからないものがほとんどです。

 

外から見ると何もダメージを受けていないように見えても「建物の中、部屋の中はぐちゃぐちゃ。天井や壁がヒビだらけで住める状態ではない・・・」というところもたくさんあります。

 

イェラチッチ総督広場

 

次に向かったのはイェラチッチ総督広場。ザグレブのまさにど真ん中、中心部です。

 

広場周辺にも被害が大きかった建物が集中しており、地震発生当日の夕方には、安全のために広場に面している建物の崩れそうな部分を撤去する作業の映像が報道されていました。

 

2020年3月22日 地震発生当日のイェラチッチ総督広場西側の写真

 

また広場の西側の一角は地震発生直後、瓦礫の山となっている場所があったのですが(↑ 上の写真)1カ月も経ち、さすがに瓦礫は撤去されていましたが、未だに立ち入り禁止のテープが張られたままの場所がありました。

 

1カ月経ち、このような様子になっていました

 

この日のようにお天気が良い日だと、いつもならもっとたくさんの人で賑わうイェラチッチ広場ですが、コロナウイルスによる外出自粛の影響で人はまばらでした。

 

ですが、市内中心部で暮らしたり、毎日市内で働いている友達や知り合いの話では「これでも昨日からかなり人が増えたよ」とのこと。

 

 

クロアチアでは、今回の写真・映像を撮影した前日(4月27日から)コロナウイルスによるロックダウン、制限措置の緩和第一段がなされたところでした。(関連記事:クロアチア「コロナ・ロックダウン」が徐々に緩和されそうです

 

なお、街中を歩く人たちの多くがマスクをつけているのも印象的でした。

 

 

クロアチアではコロナウイルスによる非常事態宣言がなされた3月中頃までは、マスクをつけて歩く地元民はほとんどいなかったのですが、それ以降は5月上旬の現在に至るまで、マスクを着けて外を歩く地元民の姿が当たり前の光景となりました。

 

なお、季節柄、ひょっとしたら花粉も混ざっていたのでしょうが、被災した建物からでるホコリなども風に舞っていたようで、マスクをしていないと咳混んでしまうような空気でした。

 

ドラツ市場

 

ドラツ市場を訪れたのは13時過ぎ頃。いつもなら14時過ぎまで賑わっているドラツ市場ですが、コロナウイルスの影響もあり、市場では人の姿はまばらでした。

 

いつもとは様子が違う閑散とした市場をしばらくぼ~っと眺めていると、ある方が「あらっ!しばらく見なかったけど、元気にしていた?」と声をかけてくれました。

 

それはいつも私が乾燥いちじく(ドライいちじく)を買いに行くおばさん。元気そうなおばさんの姿を見て、ぱっと心が明るくなりました。

 

「地震の後、今日初めて市内に来たんです。今、街の様子を見て回っているところで・・・」と話すと「本当、大変だったわよね・・・」とおばさん。

 

「おばちゃんのご自宅は大丈夫でしたか?」と尋ねると「うちもかなり揺れたけど、幸い大丈夫だったわ」と笑顔で答えてくれました。

 

この日、おばさんはもう店じまいをしてお家へ帰る途中だったので「またいちじく、買いに行きますね!」と挨拶してお別れしました。

 

聖母被昇天大聖堂

 

ドラツ市場の次は、聖母被昇天大聖堂へ向かいました。実は今回、私が一番自分の目で間近に見たかったのがこの大聖堂でした。

 

大聖堂はザグレブを代表する街のシンボルであり、ザグレブの歴史はこの大聖堂と共にあったと言えるべき存在。

 

この場所にはじめて大聖堂が作られ始めたのは、ザグレブにはじめて教区が設置された11世紀末のこと。時代を経ることに姿形を変え、今のデザインになったのは19世紀末のことでした。

 

冒頭で「今回の地震はここ140年で一番大きな地震でした」とお伝えしましたが、実は今回の地震の前に最後に大きな地震がザグレブであったのは1880年

 

1880年の地震以前は、大聖堂は今とは全く異なる姿(塔は1本だけのバロック様式)をしていました。そして1880年の地震の後に建て直される際に、ネオ・ゴシック様式の現在のデザインとなり、同時に塔も2本となった・・・というような歴史があります。

 

(※大聖堂の歴史などにご興味がある方は、詳しくは「ザグレブの歴史を見つめ続けてきた大聖堂」をご覧ください)

 

 

900年以上もの長い年月、ザグレブを見守り続け、1880年の大地震もくぐり抜けてきた大聖堂。

 

今回の地震が発生する前まで、私はいつも観光客のみなさんをザグレブでご案内する際に「1880年にザグレブでは大きな地震があって・・・今の姿はその地震の後にそれまでとは違うデザインで建て直されたものなんですよ」とお話していました。

 

これまでは「ザグレブで地震があったのは、遠い昔の話」だったのですが、今回の地震でもう遠い過去の話ではなくなってしまいました

 

地震発生当日、右側の尖塔の先が崩れたザグレブ大聖堂の様子(©Marina Kuten Ouchi)

 

3月22日の地震発生当日に、大聖堂の右側の尖塔は崩れ落ちてしまい、その様子は何度も何度も地元メディアで報道されていました。

 

街のシンボルともいうべき大聖堂の尖塔が崩れてしまった光景は、まるでザグレブの街自体を表しているかのようで痛々しく、テレビや写真で見てとても悲しい気持ちになりました。

 

2020年4月28日のザグレブ大聖堂の様子

 

(↑)上の写真には右側だけではなく、左側の尖塔もありませんが、これは地震発生後にドローンで確認したところ、無事に残ったと思われていた左側の尖塔も地震の揺れでズレが生じてしまったことが確認され、放置しておくと崩れ落ちてくる恐れがあったので、安全のために撤去されることが決まりました。

 

左側の尖塔の作業が行われたのは4月17日の夕方。左側の尖塔の先に爆弾が巻き付けられ、慎重に爆破作業が行われたのち、撤去されました。

 

安全のために仕方ないとはいえ、2本とも尖塔を失ってしまった大聖堂をテレビで見てショックでしたが、この日実際に自分の目で間近に見て本当になんとも言葉では表しがたい気持ちになりました。

 

ザグレブの大聖堂内部 (※地震前の様子です)

 

ところで、くしくも今回のザグレブ地震の発生日は3月22日。9年前の3月11日、東日本大震災の日と近いですよね。

 

 

2011年の東日本大震災の際はクロアチアでもたくさんの方がニュースを見て心を痛め、クロアチアからも義援金などが送られました。

 

実は、このザグレブ大聖堂では、東日本大震災があった2011年以降毎年欠かさず、3月11日前後になると大聖堂内で追悼ミサが行われています。今年もそのミサが行われて間もない頃にザグレブで地震がありました。

 

今回ザグレブ地震で被災した市内に住むある友達が、地震発生当日の夕方にこんなことを話してくれました。

 

美しい大聖堂の入り口 (※地震前の様子です)

 

「実はね、つい最近僕は、ザグレブの大聖堂でミサに行ってきたんだ。その時、東日本大震災で犠牲になった日本の方のための追悼ミサがあってね・・・日本のために祈ったんだけど、まさかすぐその後にザグレブがこんなことになるなんて夢にも思ってなかったよ。

 

日本の人たちはこんな地震を、もっと大きな地震も何度も乗り越えてきたんだね・・・僕たちも頑張らなきゃ!」

 

2本とも尖塔の先を失ってしまった大聖堂。近くを歩く地元民らしき人たちも、私と同じように足を止めて尖塔を見上げたり、写真を撮る姿がちらほら見えました。

 

痛々しい姿につい気持ちが沈んでしまいましたが、周りのザグレブの友達は意外にも前向きな人が多く、「尖塔が2本ともなくなって悲しいね・・・」と話す私に

 

「まあまあ!とにかく、元気で健康なのが一番さ!コロナウイルスにも気をつけないとね!

 

気分が落ち込むと、体調まで優れなくなるから、前向きにぼちぼち今できることを頑張ろう。元気でさえいれば、どうにでもなるよ!大聖堂も塔が2本ともなくなっちゃったけど、また作り直せばいいさ」と言葉をかけてくれた友達がいました。

 

 

なお、大聖堂の近くの通りを歩いる時、大きく壁が崩れた建物が目に飛び込んできました(↑)。

 

(↓)下の写真はその建物の正面。建物にいくつものヒビが入っているのがわかりますね。

 

 

この建物にはお土産屋さんが入っていて、ここで足を止めて買い物をしていく観光客も多かったので、ひょっとしたら今このブログを読んでくださっている方のなかにも「見覚えがある!」という方がいるかもしれません。

 

建物脇の様子

 

ここのお土産屋さんのオーナーさんらしきおじさんを何度か見かけたことがあるのですが、気さくで気前の良い方という印象が残っていて、この建物を見ながら「おじさん、元気にしてるかな・・・このあとどうするんだろうな・・・」とふっと心配になってしまいました。

 

建物の脇は崩れた瓦礫がそのままの状態になっていました

 

私は日頃、当サイトなどで観光情報を書いたり、ガイドという仕事柄、ザグレブ市内でお土産屋さんやレストラン、カフェ、ホテルを営んだり、そこで働く知り合いが多いのですが、被災した市内を歩きながらたくさんの人のことが頭によぎりました。

 

壁にいくつものヒビが入った建物

 

連絡を取って、ご本人やお店の無事が確認できた人もいますが、そこまで親しくない人は「少なくとも死傷者は少なかったのでご本人は無事だろう。大変な時にわざわざ様子を探るみたいな感じで連絡をいれるのもな・・・」と遠慮して連絡をしなかったので、閉まったままのお店の前を通るごとに、今までザグレブで出会ってきたいろいろな人のことを「元気にしてるかな?」と思い出しながら歩きました。

 

まだコロナウイルスの影響で閉まったままのお店がほとんどですが、また日常が戻ってきたら、無事を願いながら、各お店を巡ってみんなに会いに行こうと思っています。

 

 

この後は、一度イェラチッチ総督広場に戻り、次は「トカルチチェバ通り」、「石の門」や「聖マルコ教会」などが位置する丘の上の旧市街エリアにも足を運んだのですが、当ページで一気にお伝えするとかなり長くなってしまうので、今回はいったんここで終わりとさせていただきますね。

 

近日中にまたYouTube動画とあわせて「後篇」も公開しますので、またそちらもご覧いただけますと幸いです。最後までお読みくださり本当にありがとうございました。

 

最近、日本も小さな地震がちょこちょこあり心配ですが、みなさんもどうかご無事で、お気をつけて!

 

(2020年5月13日 小坂井真美

 

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